1+1で2になろう。
わたしたちはいつだって、ひとりの人間だ。
恋人である前に、本人にとっての『自分』であることが先である。
自分のアイデンティティがあるように、
相手にも当然大事なモノがたくさんある。
他人と深く関わると、その線引きが難しくなる。
『好き』『愛してる』『大切だよ』と言葉で伝えているものの、
それって本当に相手を自分とは違う人間として正しく認識しての言葉ですか?
恋人や夫婦、家族ほど共有する時間や物事が多くなると、
どこまでが自分で、どこまでが他人なのかわからなくなる。
例えば、相手のことなのにまるで自分のことのように怒ったり喜んだり。
相手が苦しんでいるとき、「自分がどうにかしてあげなきゃ」あるいは「自分が原因なのではないか」と思う。
大切な人ができて、ここまで相手に寄り添って考えられることは、
本来は素敵なことで、愛情のひとつだと思います。
けれどこれがマイナスに作用してしまうとき。
例えば、「自分は相手のために毎日働いていろんなことを犠牲にしているのだから、相手にも自分のことをもっと考えてほしい。」と思って苦しくなったり、
自分の選択のすべてを相手中心に考え、相手にもそれを望んだり。
なにを決断するのも、どう行動するのも、自分の人生ですよね?
たしかに、人生をともに歩んでいくパートナーとは、相談は必須です。
相談なしに重要なことをすべて決められたら、困ってしまいます。
しかし相談する前の、「自分はこうしたい」という意思は、
他の誰が決めるものでもない、あなたが決めることです。
自分の人生に責任を持てるのは自分自身だけだし、
逆に、相手の人生の責任を取るのは相手自身です。
わたしは結婚を約束するときなんかによく使われる
「君を幸せにするよ」「幸せにしてね」
ってセリフがあまり好きではありません。
自分を幸せにできるのは自分だけです。
自分の選択ひとつひとつが人生の道筋をつくっていって、
どこへ辿り着いたら”幸せ”なのか、決めるのも自分だからです。
だからと言って、
全員が、誰のことも幸せにできるわけないと言っているわけでもなく。
大切な人を幸せな気持ちにしてあげたり、
その人の人生がすてきな方向へ進むように一緒に進んでいくことはできると思います。
わたしと一緒にいて、すこしでも「楽しい」「うれしい」「あったかい」って気持ちになってくれたらわたしもうれしいなと思います。
でもその幸せな気持ちを自覚するのも相手次第なので、
こちらが無理に「いま、わたしといてうれしい気持ちでしょ?」と押し付けることでもないですよね。
なるべく持っている幸せに気づけるよう、ヒントを出すことしかできません。
それすらも気づかれず、「自分は幸せじゃない」と思うかもしれません。
でもそれも相手の人生であり、自分の人生ではありません。
好きな人に尽くしたり、役に立ちたいと思う気持ちは素敵なことです。
だけど自分が与えられる範囲は決まっていて、
相手のすべてを変えたり、支配することはできません。
そしてこれは自分自身にも言えることで、
誰かにすべてを委ねて幸せにしてもらえることはないと思います。
このことを頭の片隅に入れておくだけで、
他人に期待してがっかりしたり、
相手に振り回されて悲しくなることはすこし減ってくるんじゃないかなと
わたしは思います。
自分とパートナーはどんなに好き合っていても、どんなに長く一緒にいても、
ひとりの人間同士ということだけは忘れないでいてほしいと思います。
そのうえでお互いを選んで、大切に思い合えたら、
お互いにとってとても良い影響を与え合える関係になれると思います。
では、いつかのまゆじりくん(彼氏)がわたしに言ってくれた言葉で
締めたいと思います。